青空寄席に33年ぶりに出演する落語家、五街道雲助さん。11月1日、第1部のトリを務めます。
◇
二ツ目に昇進する時に、師匠の十代目金原亭馬生(きんげんてい・ばしょう)が付けてくれた名前、六代目「五街道雲助」。旅人に悪さをする駕籠(かご)かきを指したこの“悪名”のまま歩んできました。
いまは毎月、「らくご街道雲助五十三次」の演目を高座に掛け、やっと「箱根」の先まで来たところ。「京都で上がりですが、元気なら四国の金毘羅(こんぴら)さんまで行こうかな。一人の演者の噺(はなし)をじっくり聴きたいという方がふえていますから」
芸歴46年。落語界でも小遊三、さん喬(きょう)ら最も層が厚い団塊世代、充実した“アラ還噺家”の一人です。
古典落語「火事息子」「干物箱」など、道楽息子を叱る父親の風格がぐんと増して、色気も出てきたといわれています。
「はい。オヤジが息子にいう『あの、バカ野郎が』のせりふを得心して言えるようになったのは60歳(還暦)すぎてからでしょうか。実感でしょうね」
父親、息子、番頭、母親などそれぞれの人物の思いを繊細に演じ分けるのも芸の力のなせる業です。
「人情噺でも滑稽噺でも、役を演じるのではなく、心でやりな、と馬生師匠によくいわれましたから。稽古するうちに覚えたのかな」
昨今、吉原遊郭や煙草盆(たばこぼん)、煙管(きせる)を知らない戦後生まれが増えて、江戸の風情、風習が伝わりにくくなっています。「でもね、親が子を思い、男が女をいつくしむ、悲しいことに涙する。そんな人情が変わらない限り、落語はすたりゃしません」
隅田川馬石(ばせき)ら3人の弟子は真打ちになり、寄席のトリをつとめます。
「みんな親離れ、子離れしました。寄席のお客さんが噺家を育てるのです。定年のないのがこの世界ですから私もまだまだ…。高座に上がる日常が大好きですし、毎回、違うお客さんを前にした瞬間の緊張感、新鮮ですからね」
第22回赤旗まつり(1981年)以来のひさびさの出演です。「青空寄席では“十八番(おはこ)”をたっぷりやって、喜んでもらいましょう」
(「しんぶん赤旗」2014年10月7日)