6・9行動 年初の訴え
東京・浅草 被爆者が体験語る
原水爆禁止日本協議会(日本原水協)は東京に住む被爆者らでつくる東友会の人たちとともに6日、核兵器廃絶を実現させようと東京都台東区の浅草・雷門前で2015年最初の「6・9行動」に取り組みました。「被爆70年、被爆者とともに核兵器廃絶を」と書いた横断幕を広げて、核兵器全面禁止を求める署名を呼びかけました。
花笠音頭など郷土芸能の実演も交えた宣伝は注目を集めました。
広島市で被爆した東友会の大岩孝平代表理事(83)は、被爆した大勢の人たちが目の前で亡くなったと語り、「悲惨な状況を繰り返してはいけない。何としても核兵器を一発残らずなくしたい」と訴えました。
被爆したため二つのがんと心臓病の手術をしたと語ったのは、日本被団協事務局次長の山本英典さん(82)。「核兵器は70年たった今も人間を苦しめています。残酷な兵器を二度と使わせてはなりません。一人ひとりの署名が世界を動かしています」と4月の核不拡散条約(NPT)再検討会議で国連に提出する署名の協力を呼びかけました。
全労連の長尾ゆり副議長は、核兵器禁止条約の締結を求めるのが世界の流れだとして、「世界を動かしてきたのは私たちの声と運動です」と語りました。
大阪市の2人の女子高校生(16)は「修学旅行に行った広島で体験者の話を聞きました。残酷な核兵器は一刻も早くなくしてほしい」と署名しました。千葉県白井市の男性(72)は「父は7人の兄弟を残し、70年前に戦死しました。戦争をもてあそぶ安倍首相に腹が立ちます。一日も早く核兵器をなくしたい」と署名しました。
行動には東友会の30人をはじめ、東京原水協、全労連、全日本民医連、婦人民主クラブ、日本平和委員会、日本うたごえ協議会、上野の森に「広島・長崎の火」を永遠に灯(とも)す会などから70人が参加しました。
(「しんぶん赤旗」1月7日付より)
6・9行動とは
1945年8月6日に広島に、同9日に長崎に原爆が投下されました。6や9のつく日に、核兵器廃絶を願う被爆者と連帯して、核兵器禁止条約の締結、被爆者援護を掲げておこなう宣伝・署名行動です。