SOSは届きませんでした。両親の虐待を受けて亡くなったとされる目黒区の船戸結愛ちゃん(当時5歳)。「もうおねがい ゆるして ゆるしてください」。平仮名で書いた両親への謝罪の文章は“最後の叫び”でした。結愛ちゃんを救うことはできなかったのでしょうか。(松浦賢三)
結愛ちゃんが住んでいたアパートは、住宅街にありました。路上には手向けられた花束やジュース、チョコレートなどが山のように。6日、父親の船戸雄大容疑者(33)と、母親の優里容疑者(25)=いずれも保護責任者遺棄致死容疑=が逮捕されました。その直後の土曜日、アパートを探して訪ねる人が後を絶ちません。
静岡市から車でかけつけた一家4人。花束を手にした母親(34)は、小学3年生の長男と4歳の長女を伴い泣き崩れました。「“あなたの思いは伝わったよ”と、どうしても言いたくて…」
台東区で花屋を営む藤垣誠司さん(73)は、バイクに大きな花束を積んできました。「胸が張り裂けそう。虐待は日本全体の問題。行政で何とかしなきゃ」。来る人来る人みんなが結愛ちゃんの“謝罪文”に衝撃を受け、児童虐待は「社会の問題」と訴えました。
なぜ解除したか
結愛ちゃんは1月23日、優里容疑者、弟と共に香川県善通寺市から東京へ転居。仕事を探すため昨年12月に上京した雄大容疑者と目黒区で暮らすようになりました。
結愛ちゃんは上京前、善通寺市で2回、県立西部子ども相談センター(丸亀市児童相談所)に一時保護されています(別項)。結愛ちゃんをケガさせた雄大容疑者に対して、センターは昨年7月、指導措置の行政処分を開始。「暴力を振るわない」などの約束事を守るよう指導しました。
上京前の1月4日、センターは指導措置を解除し、所管の品川児童相談所(児相)に引き継ぎ(移管)ました。解除したのはなぜか―。センターの久利文代所長は「両親とセンターとの約束事が守られ、生活状況が改善されていると判断した」と説明。「終結ではなく、再発の恐れがあるので継続指導とした」と品川児相に伝え、リスクを伴なっているケースであることも強調したと言います。しかし、移管は遠距離であることなどから電話、書類送付で行われ、担当者が品川児相へ赴いて直接、報告することはしませんでした。
ケース移管を、品川児相の林直樹所長は「指導措置の解除は、生活状況が改善されたということ。信頼関係を構築しようと思った」とのべ、“行政処分の終結”と受け止めました。2月9日、品川児相は目黒区のアパートを訪問。しかし、優里容疑者から「児相とは関わりたくない」と拒否され、結愛ちゃんに会うことはできませんでした。
警視庁によると2月末ごろ、結愛ちゃんは雄大容疑者に顔を殴られるなどして、寝たきり状態になっていたと言います。結愛ちゃんが亡くなったのは、その直後の3月4日のことでした。センターの久利所長は結愛ちゃんの死を悔やみながら、声を落としました。
「今になってみれば品川児相まで出向き、直接話すべきだったとつくづく思います。再発の可能性はあると思っていましたが、ここまでとは思いませんでした」
“激変”した生活
関係者の話から、結愛ちゃんの環境が激変していたことが分かってきました。善通寺市では、会社勤めをしていた父親の帰宅が遅く、結愛ちゃんと接する機会は月2、3回。結愛ちゃんと母親はおやつを作り、公園へ遊びにいくなど「良い関係」だったと言います。優里容疑者の実家もあり、よく行き来していました。
転居した東京で、雄大容疑者は仕事が見つからず、家にいることが多くなりました。地域は知らない人たちばかり。久利所長は、自戒の念を込めて言います。
「父親のストレスがたまって暴力的な行為がエスカレートし、母親は相談する人もいない。急激にリスクが高まり、母親はどうしていいのかわからなかったのかもしれません」結愛ちゃんが住んでいたアパート(2階中央、一番下は地下1階)
静岡から車できたという一家4人。泣きながら手を合せていた=9日、目黒区
届かなかったSOS 目黒 結愛ちゃん死亡事件 児相「危機、伝わらなかった」
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