今年は小笠原諸島返還50周年です。6月30日に東京都小笠原村の父島で、7月1日には母島で祝賀イベントが開催されました。
日本共産党東京都議団を代表して参加した、大山とも子幹事長の訪問記が16日付の「しんぶん赤旗」に掲載されましたので紹介します。
「レモン林」という小笠原古謡(こよう)があります。小笠原では何度も聞く歌で、波の寄せては返すようなリズムのなんだか懐かしいような、つい口ずさんでしまう歌です。
「♪若い二人は 離れているけれど…平和になったら 二人でガボボ(結婚)して」という、とても甘い歌なのですが、小笠原の歴史を思うとつらい気持ちにもなります。
小笠原には、今でも森の中には砲台などの戦跡、港には沈没した船が多くあります。
戦前、果樹や野菜の栽培、カツオ、マグロ漁やサンゴ漁などで、7,000人以上の島民が豊かにのどかに暮らしていました。
太平洋戦争が始まり、硫黄島(いおうとう)では爆撃機による激しい空襲を受けました。1944年には、小笠原諸島と硫黄列島の島民が強制疎開になりました。ほとんどの人は「すぐに戻れる」と思っていたというのですが、念願の返還は島民が島を離れて24年後、68年になりました。
返還50周年の父島では、島民あげての祝賀パレードに20団体が参加。
子育てグループや保育園の子どもたちの多さにびっくりです。シャボン玉を振りまきながら、元気にパレード。小学生も中学生も、それぞれがアピールしながら楽しそうです。
都立小笠原高校のチアリーダーが元気いっぱいに踊ります。南洋踊りの歌い手は80歳の元気な女性。
小笠原の歌と踊りによる「小笠原フラ」のグループ、スチールドラムのグループ、和太鼓のグループ、消防団もビッグバンドも高齢者のグループも。島の皆さんが、それぞれ仲間と趣味を楽しんでいることを実感しました。
翌日、母島まで片道2時間の、ははじま丸での船旅です。海は限りなく青く澄み、カツオドリが船と一緒に飛んでいます。
母島の式典では、島の子どもたちの言葉を集めた詩に、当時の音楽の先生が曲をつけたオリジナルの合唱曲を、小中学生が歌ってくれました。
お祝いの昼食会では、婦人会の方たちが母島で採れた野菜と魚で手作りしてくれたごちそうと、ウミガメの煮物をいただき、大満足でした。
最後に、小笠原に赴任していた職員が父島と母島を思ってつくった「♪船は~いつ来る母島に~」と、千昌夫の「北国の春」の替え歌を、参加者みんなで肩を組み合って大合唱しました。
ははじま丸は毎日就航してほしい、などの宿題もいただきました。
航空路をどうするかは長年の懸案事項です。引き続き安心してくらせる小笠原にするため、全力をつくしたいと思います。
(2018年7月16日付「しんぶん赤旗」より)