自分たちの住む街を、より良くしたいと頑張る人たちによる住民運動が、都内のあちこちで起こっています。住民の切実な要望を、どうすれば実現できるのかー。そこには、人への優しさと街づくりへの情熱あふれる人たちがいます。
「小さな運動だけど、人に優しい社会に変えていくことにもつながると思う」。京急新馬場駅の南口にエレベーター設置をと、4年半にわたって運動を続ける南品川地域(品川区)の人たちも、そんな人たちの集まりです。
この地域には、旧東海道の宿場街の名残が色濃く残る商店街や住宅街があり、高齢化が進む一方、新しいマンション住民が増加し、子育て中の若いファミリー世帯も目立ちます。
孫の送迎きっかけ
運動をはじめるきっかけは、「京急新馬場駅南口にエレベーター設置を求める会」代表の内田充正さんの孫の送迎でした。共働きの娘夫婦のために、川崎駅の一つ手前の六郷駅を週4~5日往復するのが日課になりました。いざ始めてみると、ベビーカーを押したまま駅ホームから自宅に向かう南口改札口に下りるのは不可能でした。エレベーターはなく、エスカレーターは上りのみで、70段超の階段をベビーカーを抱えて下りるのは危険だからです。そのためエレベーターがある北口に下りました。
ところが、ホーム自体が約200㍍もあり、北口から出ると大型幹線道路と目黒川(一級河川)を挟み、約350㍍も戻らなければならないという、この駅特有の困難がありました。もともと2つあった駅が、高架化に伴い1つの駅に統合したため長いホームができあがったという、新馬場駅ならではの事情があるのです。
内田さんは「車の排気ガスも吸わされるし、夏の炎天下に歩くのは熱中症も心配だ」と語気を強めます。それでも孫の送迎は2年間続けたといいます。
内田さんは「ベビーカーを押す若い母親や、カートを引くお年寄りも、自分と同じように苦労している。何とかしてあげたい」と心を痛めます。同じ思いを抱く地域の人たちに呼びかけ、地元で活動する共産党の石田ちひろ区議にも相談し、「京急新馬場駅南口にエレベーター設置を求める会」をつくる運びとなりました。内田さんは会の代表に就任しました。
南口改札の正面で花屋を開く店主も、下り階段に苦労している住民の姿を日頃から目にしていたので、快く会に加わり、請願署名を呼びかける看板を店先に掲げました。
請願が趣旨採択
会では駅の現地調査や住民アンケート、京急本社との交渉、品川区や東京都に京急への指導を求める請願など、さまざまな活動を進めてきました。
駅員に連絡すれば、通常は上りエスカレーターを下りに切りかえて、車いすでも下りることは可能です。ところが会が実地調査したところ、南口に1人しか常駐しない駅員が付き添い、約30~40分もの時間を要することが分かりました(写真左)。
アンケートでは「高齢者は足元が見えづらくエスカレーターですら、利用が困難で危険」「病院通いで駅を使うが娘に付き添ってもらう。エレベーターがあれば自分一人で行けるのに」など切実な声が寄せられました。
15年2月に提出した区議会への請願は趣旨採択となりました。しかし京急本社は、1駅にエレベーターを1基設置したことでバリアフリー法上の整備は完了していることや、設置スペースが取れないことなどの理由をあげて、設置計画はないとの姿勢を変えていません。
これに対し会の人たちは、専門家の助言を得て設置場所などを具体的に提案。白石たみお都議(共産党)とともに行った都(都市整備局)への要請では、「技術的に絶対設置できないという駅は少ない。同一駅2カ所目でも補助金を拒むものではない」との回答を得ています。
内田さんは「京急には優しい気持ち、どうやってお客を助けてやろうかという気持ちがない。利用者の安全、安心、移動の自由を保障すべきだ」と憤ります。他のメンバーも「エレベーター設置は、わずかな予算ですむ。京急が住民の苦難をまじめに考えれば、エレベーター設置はいつでもできるはずです」と訴えます。
粘り強い運動が続く中、エレベーターの設置には至っていないものの、始発から終電まで南口のエスカレーターが動くようになったり、エスカレーターを下りに切りかえるために駅員を呼び出すインターホンの設置、区道から南口改札までの間にエスカレーターの使用に対応するとの看板が設置されるなどの改善をかちとりました。また、住民要望が強い南口改札前にある古くて狭いトイレの改修の検討も始まりました。
石田区議は「住民のみなさんの粘り強い運動に、私自身励まされています。住民にとって不自由な駅を改善するために、住民のみなさんと最後まで頑張ります」と話しています。
(長沢宏幸)