「平和でこそ、笑いがあるんです」―東京民報に「落語の歴史」などを連載した演芸評論家の柏木新さんが16日、NHKラジオに出演し、戦時下の落語について語りました。
出演したのは、夕方の報道番組「Nらじ」のなかの「特集一本勝負」。アナウンサーの畠山智之さんらが約30分にわたって専門家と、テーマを掘り下げる企画です。
この日のタイトルは、「“禁演落語”を知っていますか? ~戦時下の落語」で、柏木さんと、落語家の立川談之助さんが出演しました。
禁演落語は、遊郭や不義・好色に関するものなど「時局にふさわしくない」噺を53演目、落語界が自ら、選び、演じることを禁じたものです。その記念として、浅草の本法寺に「はなし塚」を建立しました。
畠山さんの「みなさん、禁演落語ってご存知ですか?」のナレーションで始まった番組。畠山さんが「禁煙ではなく、演じることを禁じられた落語と書いて禁演落語」と、禁演落語の概要を説明します。
「落語界が自ら、選んだんですね」という畠山さんの質問に、柏木さんは、「戦争に国民が総動員され、自由にものをいえない社会でした。あらゆる文化が戦争協力を求められた。八つぁん熊さん御隠居さんという、のんきで、戦争とは真逆の落語にも、その働きかけが強くなりました。形は自粛だが、そうせざるを得なかった」と話しました。
禁演落語を演じる会を続けている談之助さんは、「講談は軍記物で勇ましい話もあるが、落語にそんな話は一切ない。全面的に禁止されるよりは、という知恵もあったのでは」と当時に思いをはせました。
はなし塚を立てる時には、53の噺の「葬式」が開かれたといいます。「落語の葬式といっても、宗教がわからないから、坊さんと神主、両方、呼んでやったという話もあります(笑)。ぎりぎりの洒落、意地でしょう」と談之助さん。柏木さんは「塚の裏面にある説明では、53の噺を『名作』と書いています。(葬式は)落語界の戦争協力をアピールするねらいとともに、本当は葬りたくない気持ちの表れでもあったのでは」と推測しました。
銃後の協力を落語に
畠山さんは続いて、「国の意向に沿った落語、国策落語も作られたそうですね」と話題を向けます。
柏木さんは、「禁演落語の一方、戦争を進める国策に役立つ落語として、禁演の数倍の数が作られました。読む落語として雑誌に発表されたものも多くあります」として、「国策といっても、落語だから勇ましいものは作れない。防空演習やスパイを防ぐ防諜など、銃後の暮らし(戦場ではない、一般国民の生活)で戦争にどう役立つかが、国策落語の基本でした」と解説。「戦争のためには、ばく大な軍事費がいる。貯金や債券購入、献金を奨励する落語が、国策落語で一番多い」と話しました。
談之助さんは「落語家が高座に上がってきて、『まじめに働きましょう』なんて言われて面白いわけない。江戸時代のお侍の噺はいまも演じられているように、時代を超えた面白さがあるなら、今でも演じられるだろうが、一つも演じられていません」と笑いを誘いました。
畠山さんが国策落語はどのように作られたのかについて聞くと、柏木さんは「国が指示したというような公式の記録は、調べた限り、まだ出てこない。ただ、当時の講談落語協会は毎月のように、警視庁に行っており、さまざまなやりとりがあったようだ」として、今後の研究が必要だという認識を示しました。
戦争の暗い影を落とされた落語界の歴史について、談之助さんは「どこでも誰でもやっているような、普通の落語が禁止された異常な時代だった」と振り返りました。
柏木さんは、「当時の『お上』は、男女の恋を演じるような噺は、戦争がいやになってしまうからと、忌み嫌った。映画も、恋や愛というのがタイトルに入ったものは、変えさせられていた。落語家たちは、当時のそういう支配者の気持ちをよくわかっていたのだろう」と話しました。
番組の最後に柏木さんは、「禁演落語、国策落語の歴史を通じて『戦争は絶対にダメだ』『二度と戦争はしてはいけない』というメッセージを発していきたい。平和でこそ落語をはじめ、いろんな文化やスポーツも楽しめる」と思いを語りました。
番組は、NHKラジオのホームページで10月16日まで視聴できます。
戦争の醜さが生み出した
出演を終えた柏木さんに聞きました。
◇ ◇ ◇
禁演落語と国策落語は戦争の醜さが生み出したものです。戦後73年です。戦争を経験している人も少なくなっていますが、戦争は最も大切な人の命を奪い、文化・芸能など人間の精神面まで歪なものにしてしまうことを忘れてはならないと思います。
一部に戦争を賛美するような動きもありますが、憲法九条がある現代の日本社会は戦前とは違って平和を願う国民の意識も高まっています。このことを確信に、禁演落語や国策落語のことをつうじ、これからも戦争への動きを許さず、平和の大切さを語っていきたいと思います。