減給処分取り消した原告・教員 田中聡史さん(50)
4月2日、田中さんの姿が霞ケ関の司法記者クラブにありました。「君が代」訴訟(4次)の判決が確定したことから、原告の一人として記者会見に臨んだのです。
田中さんは、11~16年まで10回に及ぶ処分を受けました。卒・入学式で、「君が代」斉唱時に起立して斉唱せよ、との職務命令に従わず「不起立・不斉唱」だったからです。訴訟では、11~13年までに都教育委員会から科された5回の処分(戒告3回、減給2回)を違憲・違法として訴えました。
そのうち4、5回目の減給処分は、3回の戒告処分を受けて重くされたもの。“繰り返し従わないものは処分を重くする”という、見せしめの処分でした。高裁で“減給処分の取り消し”が認められたことから、都は上告を申し立て。しかし、最高裁は却下し高裁判決が確定したのです。
田中さんはきっぱりと言いました。
「『「君が代』を起立・斉唱せよという職務命令に従えないという、私の『思想及び良心』は5回のどの時点においても同じ。全ての不当処分の取り消しへとつながる新しい道となるよう願っています」
「侵略」のシンボル
田中さんは1969年、京都市生まれ。通った中学校の校区には被差別部落があり、在日朝鮮人の多い地域。差別問題は身近な人権問題でした。もし教員になったら、生徒に差別はなくすべき、誰もが平和のうちに生きる権利があると教えたいと思いました。
京都教育大を卒業後、都立養護学校の教員として採用。肢体不自由や知的障害の子どもたちと楽しく学びました。普段は物静かな田中さんが、なぜこれほどまで都教委に抗うのか―。
「『日の丸・君が代』は、侵略戦争と植民地支配を推し進めたかつての日本のシンボルです。起立・斉唱は侵略戦争を肯定し、民族差別などに対する反省を欠く行為。私のような考えは、普通ではないでしょうか」
“起立しても思想を変えなければ”との問いに言いました。「『日の丸』や『君が代』に敬意を抱けない私が、起立・斉唱する姿を子どもたちに見せたくない。教員としての良心が痛みます。子どもたちの前で自分を偽れません」
田中さんに大きな力を与えてくれたのは、06年9月、401人の教職員が訴えた訴訟(国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟・予防訴訟)の東京地裁判決でした。難波孝一裁判長が、都教委の「日の丸・君が代」強制の通達(03年10月23日)を違憲・違法と断じたのです。
「職務命令に従って起立すべきかどうか、不安があった頃、違憲・違法の判決で確信が持てました。後の判断は、私たちに投げ返されたと思いました」
「思想転向」迫る
処分後は、再発防止という名の「研修」が待っていました。減給処分を受けた13年度は18回にも。都教職員研修センターでは、たいがいが遮光カーテンで窓が閉ざされた部屋。研修のたびに、職務命令に従って「起立せよ」と同じことを繰り返し聞かされ、「思想転向」を迫られているようで苦しくなりました。
16年6月、研修に呼び出された日は、特別支援学校の子どもたちと「買い物学習の日」。研修日時の変更を申し入れましたが認められず、子どもたちが予定の半数しか参加できない事態に。都教委のやり方は子どもたちへ、明らかに「不利益」を及ぼすものでした。
「憲法改悪の動きに対して、9条を守る闘いと共に思想・良心の自由を守る19条で争い、一石を投じたい。裁判闘争の意義がそこにあるのだと思います」