第32回多喜二祭/未来へバトン継承 ~杉並・中野・渋谷 

この記事は約2分で読めます。
多喜二祭

多喜二祭のチラシ

作家・小林多喜二の没後87年(20日)を前に、杉並・中野・渋谷第32回多喜二祭が16日、東京・中野で開かれ、450人が参加しました。

俳優・青山憲さんの「蟹工船」朗読に続き、作家の雨宮処凛さんが登壇。

日本共産党の原田あきら都議の問いに答えて、右翼活動をしていた20代の頃、批判のために憲法前文を読んで感動し右翼を抜けた経緯や、若者の生きづらさの根底に「自己責任」論の押し付けという社会構造があると気づいたこと、「蟹工船」との出合いなどを語りました。

連帯あいさつをした市田忠義党副委員長は、多喜二の死を知った志賀直哉が「彼らの意図ものになるべし」と日記に記したことを紹介。
「彼らの意図」は戦後、憲法に実り世界の公理となったと指摘。
その「意図」には、未来社会への理想も含まれ、マルクスの「資本論」とも重なると、多喜二の「工場細胞」を引きながら説きました。
弾圧に屈しなかった多喜二らの奮闘をも胸に、希望ある未来をともに目指そうと訴えました。

歌手・きたがわてつさんの「日本国憲法前文」などの熱唱に続き、弁護士の平山知子さんが記念講演。

1931年9月、群馬県伊勢崎市で文芸講演会を開こうとして伊勢崎署に捕らえられた多喜二らを、民衆が奪還した事件を語りました。
事件の持つ意味として、多喜二が民衆に愛されていたことや、奪還にいたる統一した力の偉大さ、多喜二自身の人生を事件が後押ししたことをあげ、事件で捕らえられた平山さんの父・菊池邦作さんの治安維持法廃止への執念や、いわさきちひろが菊池夫妻に入党推薦者になってほしいと告げたことなどを語り、バトンの継承に確信を持ち、野党連合政権をともにめざしたいと結び、大きな拍手を浴びました。

(2020年2月18日付「しんぶん赤旗」より)

タイトルとURLをコピーしました