戦争の惨禍風化させぬ
10万人以上が犠牲になった1945年の東京大空襲から76年を迎えた10日、追悼集会が東京都台東区の言問橋のたもとにある追悼碑前で行われました。東京大空襲犠牲者追悼・記念資料展実行委員会が主催し、同区が共催しているもので、今回が34回目です。
川杉元延実行委員長はあいさつで、3月10日が東京都平和の日だと知っている人は少ないと指摘。90年に条例を制定し、戦争の惨禍を防止するため平和を発信すると議会で申し合わせたにもかかわらず、石原慎太郎都政下で、東京都平和祈念館の建設が凍結されたまま今日に至っていると述べ「私たちは戦争の悲惨さを風化させず、世代をつないで、平和のために未来に向けて、活動を続けていく」と強調しました。
当時小学校1年生で江東区に住んでいた濱田嘉一さん(83)が空襲体験を語りました。母、祖母とともに焼夷(しょうい)弾が落ちる合間を縫って清澄公園にたどり着き、熱風の中をバケツで体に水をかけて生き延びたと説明。「私たちは最後の語り部だろう。空襲体験を文化として若い人たちに伝えていきたい」と話しました。
日本共産党の小池晃書記局長・参院議員、立憲民主党の松尾明弘衆院議員が参列し、あいさつ。小池氏は「空襲被害者に支援を行うのは政治の責任だ。国会で空襲被害者救済法案を超党派で議論し、すべての野党が賛成しています。被害者への補償を定めることは、再びこのようなことを許さない保証にもなります」と語りました。
(「しんぶん赤旗」2021年3月11日付より)