【大島】幻の大島憲章(上)

約25年前、伊豆諸島で最大の島、大島(東京都大島町)で、町が保有資料を整理中に「大島憲章」(大島暫定憲法)が偶然発見されました。大島が独立国になっていたかも!?


正式名称は「大島大誓言」ですが、「大誓言」はなじみのない言葉ということで、町史編さんの際に「憲章」を使うことが決まりました。

大島憲章のコピー。第一条は主権島民を示す条項が書かれています(しんぶん赤旗提供)
大島憲章のコピー。第一条は主権島民を示す条項が書かれています(しんぶん赤旗提供)

全文は日本国憲法の前文にあたる「大誓言」と23条からなり、統治権、議会、執政の項目があります。大誓言には「万邦和平(世界平和)」が島民の誓いとして記されています。さらに第1条には「大島ノ統治権ハ島民ニ在リ」と、主権島民が明記されています。

値打ちある宝物

「平和と憲法を語る大島の会」世話人代表の中田保さんは「国をつくる時に必要な『平和が大切』『島民が主人公』と、柱ができていることが見事です。値打ちがあるし、宝物」と言います。

なぜ憲章がつくられたのか-。

1945年(昭和20年)8月。第2次世界大戦で敗れた日本は、ポツダム宣言を受諾します。翌年、連合国総司令部(GHQ)から「奄美諸島、小笠原諸島、伊豆諸島」を日本の行政区から外すという覚書が通告されました。これまで日本政府の統治下にあった地域を政府の統治下から除外する「行政分離」が行われました。

首都・東京への最後の砦として約1万4000人を超える日本兵が駐留していた大島には、今も塹壕(ざんごう)やトーチカ(コンクリートでつくった地下や半地下の施設)などの戦争遺跡が各地に残っています。

戦時中、日本軍の基地が置かれていた波浮港(しんぶん赤旗提供)
戦時中、日本軍の基地が置かれていた波浮港(しんぶん赤旗提供)

「独立やむなし」

大島は海に囲まれているため飲料水や食料の確保が難しく、戦時下というさらに厳しい条件のもと島民は苦しい生活を強いられました。そんな中での日本から〝独立国〟として切り離されることは、「青天の霹靂(へきれき)であった」と町史に記されています。

しかし、元村(現大島町元町)の村長の呼びかけで元村役場に集まった、島内6村の代表は緊急の話し合いを行い「独立やむなし」と事態を受け入れたと言います。その話し合いの中で、独自の憲法をつくることを決めました。

後日、大島憲章をつくるために集まった人たちの中に法律の専門家はいませんでした。元村村長の柳瀬善之助、大工の雨宮政次郎、三原山で茶屋を営んでいたキリスト教徒でもある高木久太郎、そして元村助役の高田森吉の4人を中心に、こぶしで涙をぬぐいながら議論をかさねました。(つづく)

(「しんぶん赤旗」2022年9月7日付より)

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