改憲に対抗する原動力
結局、1946年(昭和21年)1月29日から3月22日までの53日間でGHQの覚書は撤回されました。島民は日本国憲法制定に先駆けて独自の憲法を作り上げたのです。
元日本共産党町議の時得孝良さんは「大島憲章の一文を刻んだ碑が建っていたり、資料館があったらいいけど、ない。先人の思いを残す必要があります。これはわれわれの宿題です」と話します。
三つの語る
大島憲章を守り、後世に伝えていこうと取り組んでいるのが「平和と憲法を語る大島の会」です。
2003年、自衛隊をイラクに送ることが国会で決まった時、「黙っていていいのか」と中田保さんが呼びかけ、20人ほどが集まり、「憲法を学ぼう」と活動が始まりました。
会の名前の「語る」には三つの意味があります。「語り合う」「語り継ぐ」「思いを語る」です。気になったことを何でも「語り合う」、先人たちが大変な時代につくりあげた大島憲章を「語り継ぐ」、自分の「思いを語る」。この三つを大事にしたいと、集まった人たちで決めました。
「語る会には会員はいません。いるのは世話人だけ。誰でも、どんな考えを持っている人でも参加できて、さまざまなテーマで一緒に学ぼうという会です」と中田さん。
活動はさまざま。学習や平和展、宣伝行動や憲法集会にも取り組んでいます。
私たちの誇り
今年5月の大島憲法集会では、決議で平和憲法を持つ日本の役割は核兵器のない世界を作るための先頭に立つことと採択。大島憲章を「自らの力で作り上げた先人たちの危害と強い意志を受け継ぐ私たち、平和憲法を次の世代にしっかりと引き渡すために全力を挙げる決意」を確認しました。
中田さんは言います。「大島憲章は大島に住んでいる私たちの誇りです。今の時代に、自分たちで作り上げたという事実を持って改憲勢力に対抗できる武器、原動力です。だから、多くの人に知ってもらいたい、伝えたい」
(おわり)(白石光が担当しました)
(「しんぶん赤旗」2022年9月9日付より)