自衛隊基地「強靱化」 十条駐屯地は報復の標的
「敵基地攻撃能力」の保有で長射程ミサイルを配備、報復に備え全国約300地区の自衛隊基地・防衛省施設を強靱(きょうじん)化し、核攻撃にも耐えられるようにする―。岸田大軍拡で日本中が戦場になる危険が高まっています。戦前「軍都」と呼ばれた東京都北区(35.4万人)は、軍施設周辺への空襲で多くの市民が犠牲になりました。同跡地にある陸上自衛隊十条駐屯地は「強靱化」の対象です。「再び町を焦土にさせない。大軍拡にNO」。日本共産党の訴えに共感が広がっています。(内藤真己子)
制服姿の自衛隊員が正門でにらみをきかせる十条駐屯地。隣接する都営住宅に向け野口まさと党北区議候補の訴えが響きます。
「十条駐屯地の司令部を核攻撃から守る強靱化が具体化しています。5年で43兆円の軍拡で長射程ミサイルを装備し、米軍の指揮下で先制攻撃が可能となれば、相手からこの駐屯地が報復を受ける危険があるからです。基地には核シェルターができても周辺の住民の命はどうなるのか」。
通りかかって「しんぶん赤旗」春号外を受け取った中年の女性は「ここも狙われるってことですね」と不安げ。「防衛費より教育や医療を重視してほしい」と話しました。
焼夷弾の記憶
同駐屯地があるのは旧陸軍施設の跡地です。戦後は米軍に接収されますが解放され、都営住宅や特別支援学校、図書館やスポーツ施設ができました。自衛隊は1958年に入り込んできました。隣接する都営住宅の女性(86)は「戦争では焼夷(しょうい)弾のなかを逃げました。平和だから怖くなかったけど、これからは分からない」。顔を曇らせます。
同駐屯地には、陸・海・空自衛隊の「補給統制本部」や「補給本部」が置かれています。
北区平和委員会副会長の八百川孝さんは、「十条駐屯地は兵器の調達など全国の自衛隊の兵たんの中枢です。日本がミサイル攻撃をおこなえば、報復で必ず狙われる。強靱化で司令部機能は残っても、周囲の市民に甚大な被害が出るのは、第2次世界大戦時の空襲の歴史から明らかだ」と強調します。
戦前の北区は軍の施設が密集し区の面積の約1割を占めました。そのため米軍の空爆の標的になり無差別爆撃につながりました。12回の空襲で545人が死亡。約3万2000棟が被災しています。
「米軍機が編隊を組んで屋根の上を飛んだ。台地の下の町から火の手が上がり一帯に広がった」。こう語るのは同区上中里で1945年4月13、14日の「城北空襲」を体験した男性(90)です。約12万人が被災。「わが家は難を免れたが、同級生は焼け出され逃げまどっていた。翌朝、駒込駅の陸橋に黒こげの死体が転がっていたのが忘れられない」。
同区豊島の女性(87)は、建物疎開で王子駅前の生家を失い埼玉県秩父市に疎開。戦後戻ると「一面焼け野原。東十条から(1.5キロ離れた)王子駅の改札が見えた」と言います。「軍の工場があった豊島地域は一帯が焼けました。ご近所の女性は『空襲に備え毎日弟をおぶって寝て荒川の土手に逃げた。空襲の翌日は町内のあちこちに死体が転がるなかを仕事に行った』と話していました」。
9条生かして
女性は統一地方選挙で、「政府は敵を攻撃するミサイルを買い、報復に備え十条の自衛隊に核シェルターをつくると言っている。町がまた焼け野原になりかねない」と話し、大軍拡NOの共産党への支持を訴えています。
近所の80代の女性は「そういうことなんだ」と驚き「戦争だけはいや。娘にも話してみる」と語り、「しんぶん赤旗」日曜版も購読してくれました。
前出の男性は元小学校教員。「教え子に反戦平和を貫く共産党への支持を広げたい」と意気軒高です。
民青同盟北地区委員会副委員長の長崎夏海さん(23)は街頭で青年と対話しています。
「『抑止力は必要』という人にも軍拡の中身がアメリカの戦争に参戦し先制攻撃することだと話すとほとんどの人が『反対』に変わります。現にある平和の枠組み『東アジアサミット』を強化するために、日本は憲法9条を生かした外交をするべきだという対案を示すと『日本だってもっと話し合えばいいじゃないか』と賛同してもらえます」と語っています。
(「しんぶん赤旗」4月13日付より)