普通に暮らせる社会が理想 議会へキックオフ 紹介 新人議員

江東区議
西部ただしさん(31)
 「応援してくれた、たくさんの人たちに支えられ、やっと実りました。妻や娘にもずいぶんと負担をかけました。本当に感謝しています」。江東区議選(定数44)で初当選した西部ただしさん(31)は、前回区議選(2019年)で惜敗の悔しさを味わっただけに喜びもひとしおです。
 4年半前、暴走する安倍政権への怒りから、そして、勇退するそえや良夫区議(当時)の後を受け継ぐため、生まれ育った地元砂町で正社員の職場を辞めての初挑戦でした。「落選が分かった瞬間は頭が真っ白になりました。でも心は折れませんでした。これまでの自分の人生を考えれば、そんなにうまくいくわけがない。次に向けて何が足りなかったかを考えよう」

困窮の子ども時代が原点に
 落選しても「自分らしい人生」と前向きになれたのは、子どもの頃の貧困生活と過労死レベルの長時間労働を強いるブラック企業で働いた経験があったからだったと振り返ります。
 小学生の頃に保育士だった母親が脳腫瘍となり、大手術の末にやっと社会復帰できたと思えば、今度はタクシードライバーの父親が心筋梗塞で倒れました。家計は火の車になりました。
 「親の苦労は分かっていても、子ども心に貧乏が恥ずかしく、親を恨んだこともありました」という西部さんには、高校生の時の忘れられない記憶があります。妹が通う中学校から「滞納した給食費を払わないと卒業させない」と先生から言われたのです。その一言は、今も心のしこりとなっています。
 「今の子どもたちに、そんなつらい思いを絶対にさせたくない」。学校給食費の無償化は必ず実現したい公約として、熱い思いを込めて訴えました。子どもたちから「本当にできるの」との声がかかり、西部さんは「絶対やるよ」と答えました。
 区議選後、江東区は小中学校の完全無償化を10月から実施すると発表しました。「本当にうれしい。4年前は訴えていても実現できる確信が持てなかった。もしかしたら落ちた原因は、それかな」と苦笑します。

困っている人ほっとけない
 「困っている人をほっとけない」。西部さんの政治信条です。その原点には、病で経済的に困窮する両親の良き相談相手となっていた共産党議員の姿があります。共産党に入るきっかけも、東日本大震災の共産党のボランティア活動に参加し、党員の献身的な姿に触れたことでした。
 予定候補になると相談活動に力が入り、数え切れないほどの相談を受けました。その中には親子とも病気と障害で働けず、お金も食べ物も底をつき「死ぬしかない」と思い詰めた人もいました。西部さんは「絶対に死んではだめ。生きていれば何とかなる」と、自分のつらかった体験に重ねて励ましました。

居場所づくりで広がるつながり
 この4年間、西部さんが力を入れてきたことが、もう一つあります。それは、みんなの居場所づくりです。「スポーツなら何でも大好き」という西部さんは、「平日も野球をしたい」という子どもたちの声に応え、放課後の練習を支援。地元の少年野球チームでコーチを引き受けています。自身、小学生時代は少年野球チームのピッチャーで、砂町リーグ・トーナメントで優勝。中学野球部では区大会優勝、都大会ベスト8の経験もあります。
 フットサルやバトミントンサークル、さらに特技を生かしてギターサークルも設立。サークルのLINEグループには180人以上が登録しています。子どもたちが通える無料塾の開設も支援しました。こうした取り組みの中で、「だれでも食堂」の開設や区内のウクライナ戦争避難民への支援など、思いもかけない広がりもありました。地域の人たちとのつながりを大事にしてきたことが、実りはじめています。
 西部さんが目指すは「個性や多様性が尊重され、仕事も趣味もバランス良く楽しめる『普通に暮らせる社会』」。初めての本会議一般質問でまずは、負担の重い教育費軽減など子育て支援、ジェンダー平等、練習場の確保に苦労した体験も踏まえたスポーツ振興について取り上げます。
 「結婚も子育ても人生の選択肢にならない同世代の若者、年金が減らされ生活が大変な高齢者、選挙権がまだなく声をあげられない子どもたちの声を区政に届けます。本当にお待たせしました」


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