東京都教育委員会は本来、中学校の授業で習った英語の「話す」力がどのくらい身についたかを確認するためのテストESAT―J(イーサットジェー)を、教育関係者や保護者など多くの都民の反対を押し切って、昨年度の都立高校入試に活用しました。当初から指摘されていた公平・公正性などに関わる問題が次々に明らかになっているのに都教委は今年度も実施します。同テストの入試活用に反対する「入試改革を考える会」代表の大内裕和・武蔵大学教授に、何が問われているのか聞きました。
大内裕和教授に聞く
東京で生き残った入試への民間活用
私が入試問題を考えるようになったのは、2020年度から始まる大学入学共通テスト(共通テスト)で予定されていた英語民間試験の活用問題です。高額な受験料や受験会場不足など、機会の公平性をはじめ問題が多く、「入試改革を考える会」を立ち上げるきっかけともなりました。
萩生田光一文部科学相(当時)の格差を容認する「身の丈」発言が大問題にもなり、民間試験の活用は中止に追い込むことができました。ところが東京で生き残っていました。
入試とは別立て最大の矛盾生む
2022年1月に、その情報をつかみ、いろいろ問題があることが分かりました。中学スピーキングテストESAT―Jです。大学共通テストとは少し違いますが、入試に私企業を活用する点では、同様に解決困難な根本問題があります。
その一つが、入試とは別立てで行うアチーブメントテスト(学力を確認する試験)を入試に活用することによる問題です。採点に時間がかかることや、私企業の制約もあって入試当日の試験日以前に試験が実施されます。そこに最大の矛盾があります。
テストは公立中学3年生全員を対象に、入試とは別の日(今年度は11月26日)に行います。結果は学力検査(入試)の一部ではなく、調査書の一部として総合得点に加算されます。「換算得点」というものが考え出され、最高点100点の結果が20点に換算されます。Aが20点、Bが16点、Cは12点とA~0点のFまで6段階に換算するのですが、例えば65点は16点に換算され、64点は12点に換算されますから、1点の差が4点差に広がってしまいます。
入試の結果は1点刻みなのに、スピーキングテストだけ4点刻みというのは、1点差で合否判定される入試には、ふさわしくありません。
逆転生む不受験者仮結果の推定点
さらに問題なのは「不受験者」の扱いです。都立高校の入試には、都外や私立の中学生も受験しますし、何らかの事情で受験できなかった「不受験者」は必ず生まれます。都教委は、その対策に「仮結果推定」という驚くべき方法を生み出しました。
スピーキングが課されない入試当日の英語試験で、不受験本人と同じ点数あるいは前後の点数を取った他人のスピーキングテスト結果から、不受験者のスピーキングテストの仮結果を推定するというものです。不受験者の点数は他人次第で決まります。
その結果、不受験者に英語学力検査で同点か上位の受験者より高い推定点が与えられたり、不受験者同士で英語学力検査の結果が高い者より低い推定点が与えられることで、結果的に合否が逆転する危険性があるのです。入試制度として失格です。
ところが都教委は公開質問状の回答で、「起こり得ないと限定するものではない」と事実上認めているのに、「考えられる最善の方法」と居直っています。今年度もこのまま実施される可能性があります。
背景に公教育の危機
私は反対ですが、仮にスピーキングテストをやるにしても、通常の入試のように都立高校がやればいい。ところが公教育機関に担う余裕はなく、私企業に頼らざるを得ない事情もあるのです。公教育への予算を削減し、私企業に回してきたつけがまわってきたと言えます。
都は今年度、35億円もの予算をかけてスピーキングテストを中学1・2年生にも広げます。その一方で、未曾有の教員不足です。今回の入試の問題の底流には公教育の危機があります。30年近く続く新自由主義の流れとその矛盾で、都立病院の独立行政法人化など、都政全体に言えることです。
一方、私企業が公平性や公正性、透明性を守ろうとすれば当然コストが伴います。このことは都教委やベネッセにも突きつけられた。全て順調に実施されたとしていたのに、ベネッセは突然、今年度をもって撤退します。説明がないので理由は推測ですが、恐らく予想していたよりコストがかかり、利益が上がらなかったことが大きいのではないでしょうか。
例えばテストを前半、後半に分けたことで、音漏れなどの大問題が指摘されました。一斉にやるとなれば人件費やタブレットなど、コストが膨らむことが予想されます。来年度からは原則「同一問題同一時間」で実施する方向ですが、ベネッセは今年度、昨年と同様に、前半後半に分けて実行しようとしています。
被害者は受験生中止求める
テストの申込みが始まりましたが、あくまで中止を求めていきます。順調のはずのベネッセが撤退したこと自体、問題を認めたのも同然です。公平・公正な試験をやるためにはコストはかかる。もうからないからと撤退されては困るんです。住民訴訟では個人情報保護条例や「入試の公平性・公正性」が問われており、信頼性が疑われているテストをこのまま実施していいはずがありません。
当初予定されなかった音声データの開示やベネッセの撤退という状況をつくり出したのは、中止や改善を求めてきた運動の成果でもあります。テストでの一番の被害者は受験生です。都議会でも超党派の議連が頑張ってくれています。中学3年生の立場に立って、公平・公正に試験が行われることが一番重要です。