背景に歴史修正主義と自民党
東京都墨田区の横網町公園には、関東大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者の追悼碑があります。震災から50年を経てようやく建てられたこの碑の前で行われる追悼式典に、小池百合 子都知事は7年連続で追悼文を送っていません。背景に歴史修正主義団体と自民党議員の動きがあったと識者は指摘します(林直子)
加藤直樹さん講演
追悼文は石原慎太郎氏含む歴代都知事が送っていました。小池知事も就任した16年は送付しています。
1日、式典の実行委員会などが開いた学習会。ノンフィクション作家の加藤直樹氏が講演しました。
小池知事に送付取りやめを要請した人物がいる─。加藤さんはこう話します。
ヘイトあおる
17年3月、故・古賀俊昭都議(自民党)は都議会の本会議で「追悼の辞の発信を再考すべきだ」と質問、小池知事は適切に対応すると答えました。この年の夏、知事は追悼文の送付を取りやめ、以後送付していません。
その前の16年、〝朝鮮人がテロをしたのは事実〟と主張する団体「日本女性の会 そよ風」はブログに、古賀都議と面会した写真をのせ、追悼文の問題について「共に歩いていくことを確認」したと書いています。
加藤さんは「小池知事はヘイト的な情緒をあおり人気を集めるところがある。そういう人が知事にいる以上、虐殺の事実を否定する流れは続く」と危惧します。
さらに加藤さんは、そよ風の最終的な目標は追悼碑の撤去だと指摘します。群馬県は今年1月、「群馬の森」(高崎市)にある朝鮮人追悼碑を行政代執行で撤去しました。そよ風はこの碑の撤去も主張してきました。
虐殺された朝鮮人を悼む碑が東京で初めて建てられたのは、1973年。加藤さんはその経緯を説明します。
友好のために
当時の知事は美濃部亮吉氏です。日朝協会東京都連合会が呼びかけ、碑の建立と真相解明調査を掲げる実行委員会が発足。都議会の自民党から共産党まで幹事長が加わりました。
費用は約770万円。当時の物価を考えるとかなりの高額を、わずか3カ月間のカンパで集めました。ガリ版刷りの会報に、カンパを集める青年の手記が載っています。「マージャン仲間、のみに行ったお店、職場の人たちに盆踊り、送別会会場で訴えた…断固として碑を建設するために…友好のために!!」
碑は都に寄付されることになり、震災と空襲を記憶する横網町公園に建てられました。毎年9月1日に追悼式が開かれます。
関東大震災と虐殺
1923年9月1日の関東大震災時、在日朝鮮人が暴動を起こした、井戸に毒を入れるなどのデマが流れました。新聞も流言を報じ、軍隊や警察、自警団が多数の朝鮮人、中国人や日本人を虐殺しました。政府は当時事件を隠そうとし、戦後も全ぼうを調べていません。当時の記事はインターネットに出回り〝暴動の証拠〟としてヘイトスピーチに使われています。
(「しんぶん赤旗」2024年6月8日付より)