岸田首相の肝いりで設置された全閣僚による「障害者に対する偏見や差別のない共生社会の実現に向けた対策会議」が7月29日に初会合を開催。岸田首相は、「障害者への差別や偏見、排除などの社会的障壁を取り除くのは社会の責務」と発言しました。しかし、財務省の外局となる国税庁の東京国税局では障害者がハラスメントを受け、分限免職(解雇)や雇用打ち切りという障害者排除が当然のように続いています。2人の実態を取材しました。
東京国税局の元職員の原口朋弥さんは、2011年に社会人枠での採用後に都内税務署の管理部門に配属されました。その後税務調査を主とする個人課税部門に転課するも、新人にもかかわらず具体的な指導・指摘もなく、些細なミスを理由に密室で怒鳴られ続けるなどのパワハラを受け続けました。パワハラにより、うつ病を発症。その後のADHD(注意欠陥多動障害)の診断以降も一切配慮がありませんでした。
パワハラを相談した後に報復とも思える人事評価D(最低)が続いたことをもって2021年6月、分限免職処分とされました。現在、取り消しを求め人事院に審査請求中です。22年12月の公平審査の公開口頭審理に、東京国税局考査課課長補佐(当時)が出席し、尋問を受けました。
課長補佐は「勤務改善がない。成績が上がらない。フォローする職員が大変だ」などと回答。さらに「通常にしてくれればいい。(通常とは)現場判断だ」「個人的に対策を練って対応するが、そのため(障害者)の職種はない」と障害への配慮や理解をする気が全くなく、〝排除ありき〟で対応してきたことを公言しています。
病気の公表迫る
東京国税局に1980年代に入局した小宮達雄(仮名)さんは、資産課税部門、国際税務、第一統括官を経て特別調査官などを歴任。税務署の調査部門のエキスパートとして長年、税務署に勤務してきました。
物忘れが気になった小宮さんは病院を受診。軽度のアルツハイマー型若年性認知症の診断を受けたのは2017年のことでした。その後、副署長に相談すると調査の現場から離され、今まで経験のない事務仕事を指示されます。
2019年秋、年度途中で本人への打診もなく特別調査官の任を解かれ2階級降格。以来、露骨な排除が始まり、異動先では電話のない席が指定されました。当時の署長が「みんなの前でアルツハイマーをカミングアウトしろ」と迫るなど、非人道的な行為が公務の現場で行われたのです。
あてがわれる仕事はパンフレットの挟み込みや新聞の切り抜きなどの軽作業。それでも税務行政に役立ちたいと、過去の経験から国際税務の研修資料の作成など努力をしました。人事評価を担当する考査課職員が、やってきてその資料を一瞥すると投げ捨てました。
2020年11月、署長は定年退職を見据え、障害者枠での再任用を小宮さんに打診。しかし直後に資料を投げ捨てた考査課の職員、担当副署長、担当統括官による面接が行われました。小宮さんの知らぬ内に「情報を共有したい」と妻が急遽呼び出され、仕事上のミスを一つひとつ読み上げられたのです。
さらに考査課職員は自転車駐車場やファーストフードのホームページの資料などを見せ、笑みを浮かべて「このような仕事もある」と、転職するように圧力をかけたのです。妻が「国税の現場で役立たせて欲しい。治験にも参加しています」と述べると、「退職して治療に専念したらいい」と退職を迫り、さらに退職金の減額についても言及しました。
小宮さんは以降、国税の職場で初となるジョブコーチ(職場適応援助者)を依頼し、仕事を続けられるように努めてきました。定年退職後は1年契約の再任用制度で税務署に残っていましたが、些細なミスで人事評価D(最低)を三回付けられたことをもって今年7月9日付で契約の更新は拒絶されました。小宮さんは「優秀な人でも病気のために、職場に居にくくされ黙って辞めていく人は少なくない。誰もが明日にでも障害者になる可能性はある。認知症は何もできないと決めつけられ、誠心誠意尽くしてきた職場をこのような形で去るのは残念。家族を巻き込んでしまってきつかった」と語ります。
全国税労働組合には他にもパワハラから精神疾患を発症して、排除される職員からの相談が複数あります。同組合OBの高橋誠税理士は「表向きは障害者雇用を推進としながら、切り捨てている。とんでもない。運用を変えなくてはいけない」と憤ります。
国の機関での障害者差別と排除という人権問題を起こし放置していることについて、岸田首相と鈴木財務相はどのように考え対応するのかが問われています。