関東大震災から9月1日で101年目を迎えます。関東大震災では、「井戸に毒を入れた」などのデマが流され、多くの朝鮮人、中国人、労働運動などの活動家が虐殺されました。首都圏各地をはじめ虐殺の「現場」を訪ね歩き、101年前と現在をつなげる著書『地震と虐殺 1923―2024』(中央公論新社)を6月に出版したノンフィクションライターの安田浩一さんに聞きました。
(荒金哲/写真・五味明憲)
―600ページ近い大書です。
過去にこんなことがありましたという記録集ではなく、足音が響くようなノンフィクションとして書きたかったのです。
そのためには、どうしても各地に行って、話を聞き、101年前の光景を想像して歩くことが必要でした。各地で虐殺の事実を掘り起こし、伝えようと、頑張っておられる人たちも多くいます。しかし、ほとんどの現場には、何も残っていない。何もないことにも意味があります。「虐殺をなかったことにしよう」という地域の思いや、社会の動きが、そこには現れているわけですから。
時間はかかりましたが、101年前の問題が現在と地続きであることが、浮かび上がったのでは、と思っています。
歴史否定の波に
―小池知事が、朝鮮人犠牲者への追悼文を拒否し続けている問題にも、一つの章をあてています。
小池知事は「歴史家がひも解くべき問題」としていますが、歴史家は虐殺の事実をすでに十分に明らかにしています。
知事は、追悼文を送らない理由を、都の大法要で震災の犠牲者すべてを追悼しているとしています。震災で亡くなった人々を追悼すること自体は大切ですが、虐殺の被害者は、その中に押し込めてよい対象ではありません。
虐殺の被害者は、地震という自然災害を生き延びた。それにもかかわらず、人の手によって殺されてしまった人災の犠牲者だからです。知事自身が「虐殺はなかった」などのヘイトスピーチ(差別表現)をしているわけではなくても、そうした人々を勢いづかせることにつながります。
小池知事は、送付をやめた年の3月に都議会で、極右系の議員から追悼文について質問を受けていますし、さまざまなヘイト系の団体からのロビーイング(働きかけ)も受けています。
近年、各地で強制労働犠牲者の追悼の碑が撤去されたり、説明パネルの文字が変更されたりという動きが相次いできました。小池知事は歴史修正、歴史否定の動きに乗って、明確な意思を持って追悼文の送付を取りやめたのだと思います。
植民地主義の差別
―差別と偏見が虐殺を起こしたことを繰り返し強調されています。
教科書の記述や、あるいは一部の良心的な人々も含めて、「地震の混乱の中で、朝鮮人や中国人が殺された」というとらえ方があります。
しかし、地震はきっかけであって、朝鮮人などを殺すことを正当化し、殺すよう仕向ける仕掛けが、連綿と築かれていたのです。それは、国家権力により植え付けられた差別と偏見であり、もっといえば、帝国主義と植民地主義です。植民地を支配の対象として、人々に優劣をつけ、「殺されてもいい存在」として、差別を生み出し続けてきました。
震災の前年にも
―「不逞鮮人」といった言葉にも、「朝鮮人=日本の支配に抵抗するパルチザン」という見方が背景にあるという指摘はなるほどと思いました。
これも本で書いたことですが、震災の前年1922年にすでに、新潟県の山奥で「中津川事件」と呼ばれる朝鮮人虐殺が起きています。
水力発電の建設現場で、タコ部屋労働を強いられていた朝鮮人が逃げ出したのがきっかけで、監督者らが追いかけて、橋の上から落としたり、木に遺体をつるしたり、川が死体で埋まるほど多くの朝鮮人が残虐な方法で殺されました。それでも監督者らは刑事責任に問われていません。
それ以前にも、朝鮮半島では、日本の支配に抵抗する独立運動の関係者が徹底的に弾圧されていました。屍(しかばね)は積み重なっていたのです。
これらは蛮行の積み重ねであると同時に、差別と偏見の積み重ねです。日本に立ち向かってくるならば、日本の国家体制に口を出してくるならば、弾圧され、殺されても当然だという意識が、政府だけではなく、市民社会の一部にも浸透していたのです。
―その点で、本書で取り上げられた、虐殺を目撃した子どもたちの作文は、衝撃的でした。
横浜の尋常小学校4年の男の子は、近所の人たちが、長い棒を手にしているのを目撃します。朝鮮人がとらえられて、人々が棒で突いている。子どもは棒を「おくんなさい」ともらい、一緒につつく。そうしたら「きゅうとしんでしまいました」と書いています。
これらの作文には、人を殺すことに対する、子どもながらの抵抗感とか、死んでいく人間への恐怖、あるいは後悔といった感情がまったくない。この時代の教育が、子どもたちに朝鮮人に対する差別と偏見を刷り込んでいたからです。むしろ、子どもだからこそ、取り繕うことなく正直に書いています。
社会を壊させない
―現代のヘイトスピーチなどにも多くの記述を割いています。
101年前に比べて法律や社会の制度が整備され、虐殺はもう起きないだろうという人がいます。私もそう信じたい。しかし、近年、街頭で「朝鮮人を殺せ」と叫んだり、ネットで「朝鮮人は追い出せ」と書き込んだり、いわば「カジュアルに」差別をする人たちが増えています。その動きをあおったり、容認する政治家や、一部のメディア、識者の動きもあります。
社会が暴走していないのは、「差別はいけないんだ」という人々の気持ちと行動が、ぎりぎりのところで作用しているからです。
これ以上、社会を壊すわけにはいきません。差別と偏見の先には殺戮と戦争がある。小さな差別を許容し放置することが、より大きな差別を育て、いつか手の負えないものとなって、人を殺す道具になる。それは、日本の植民地主義や、ヒトラーのドイツなど、歴史が証明しています。
私は殺したくないし、殺されたくない。誰かを殺してしまう社会を見たくない。地震のひと揺れが虐殺を生んだのではなく、差別と偏見の蓄積によって、社会が多くの人々を殺した。その時、壊されたのは、社会であり、地域なのです。
朝鮮人虐殺追悼文 小池知事、今年も送らず
小池百合子都知事は8月23日の定例記者会見で、1923年9月1日の関東大震災後に起きた朝鮮人虐殺の犠牲者への追悼文について、今年も送付しない考えを明らかにしました。
関東大震災後に「朝鮮人が暴動を起こす」などのデマが流され、数千人といわれる朝鮮人らが軍や警察、自警団によって虐殺されました。1974年以降毎年開かれる追悼式典(実行委員会主催)には歴代知事が追悼文を送付してきました。
小池知事は就任直後の2016年に追悼文を出しましたが、翌年から8年連続で拒否しています。小池知事は8月23日の会見で「虐殺について事実を認めるか」と問われ、「都の慰霊堂で開かれる大法要で、震災による極度の混乱下での事情で犠牲となった方も含めて、全ての方々に対して慰霊する気持ちを表している」と述べ、虐殺の事実について明言しませんでした。
追悼式典実行委員会(宮川泰彦委員長)は8月1日、都が朝鮮人虐殺への追悼文を出さないことを「自然災害で命を失った犠牲者への追悼と人の手によって命を奪われた犠牲者への追悼をごちゃ混ぜにし、人の手によって命をなくした人の尊厳に対する思いが感じられない」として、追悼文を出すよう小池知事宛てに要請していました。
101周年追悼式典
9月1日(日)午前11時から。都立横網町公園内、朝鮮人犠牲者追悼碑前。参加費無料。